[2] 内藤×亀田ほか最近のニュースいろいろ

Comments


山椒小粒
2007/10/13 05:54 AM
アルメニア人に関して、面白いページ見つけました。
■知れば知るほど嫌いになる国
あの国”に生き別れの双子がいた? アルメニア人とは?
http://hwabyung.exblog.jp/2248023/
iroiro
2007/10/13 08:10 AM
アルメニア問題と南京問題を一緒にしないほうがよいです。
アルメニア問題の場合は死んだ人の名前は特定できます。4人に1人が殺されました、元々アルメニア人口は少ないのです。
それからトルコ内のその当時のアルメニア人の家は没収されたりして、証拠はたくさんあるので、一緒には並べて書けません。
それで南京問題と一緒にかたるのは危険です。
また現在トルコは米軍基地をおいています。それでイラク攻撃からトルコ内に反米の動きもあります。イラク攻撃をするときにアメリカはクルド人に国を持つ約束をしたようです。そのどさくさにまぎれてトルコ軍がクルド人を殺したのもわかっています。
欧米のニュースになりました。
トルコ大統領、首相はすぐれた人ですが、軍人がとても強いので(言うことを聞かないので)、なかなか民主化がなされません。
欧州はこのトルコ大統領や首相に期待しています。
この次はクルド人問題で浮上するかもしれません。
日本は日本でやっていかなくてはなりません。 
Gくん
2007/10/13 01:06 PM
ブログ主さんは、一緒にしているのではなくて、
問題を仕掛けている側の戦略(ロビー活動等)が、南京問題の手法と似ている側面もあるということではないでしょうか!
オスマン・トルコとかセルジューク・トルコとか歴史の教科書にに出てきそうな過去の民族紛争を蒸し返して、現在のトルコ共和国を非難するのは、違和感を感じます。
これが何でもありの国際政治の現実的戦略なんでしょうか! そういう意味では理解できます。
蒼々
2007/10/13 01:47 PM
・・・在東京トルコ大使館HPより引用・・・

第一次大戦で150万人のアルメニア人が死亡したのですか?

 アルメニア人の宣伝活動家によれば、「虐殺」によって150万から200万人ものアルメニア人が死亡したと伝えられています。これもまた彼らの他の主張と同様に想像上のものであり、この主張で挙げられる人数は時と共に増加しています。終戦直後は、アルメニア側が挙げた数は60万人でしたが、後には80万人に膨らみ、現在はその数は約150万人となっています。ブリタニカ百科事典の1918年版では、60万人のアルメニア人が殺害されたとしていますが、1968年版では150万人に増加しています。  

 アルメニア側が発表している誇張された数字はともかく、西洋諸国が発表している数字は105万6000から155万5000人の間であり、それらはオスマン政府の公式発表の129万5000人と近似しています。では、これは起こらなかったことですが、もしオスマン帝国の全てのアルメニア人が殺されたとしても、一体150万人ものアルメニア人が殺されたなどということがどのように言えるのでしょうか?  

 では、実際のアルメニア人の被害はどうだったのでしょうか?タラット・パシャが「統一と進歩」党の最後の会議に提出した報告書の中では、その数字は約30万人であると報告されています。フランスの聖職者モンセニュール・トゥシェが1916年2月の「Oeuevre d'Orient」の会議で、死亡者の数は50万人であると考えられると証言しました、しかし同時にこの数字は誇張されたものである可能性があると付け加えています。  

 トインビーによれば、アルメニア人被害者の数は60万人であると推計しています。アルメニア人も同様の数を以前は発表していました。パリ講和会議に出席したアルメニア人の代表であったボゴス・ヌーバルは、戦後トルコで生活しているアルメニア人の数を28万人、他の国に移住した数を70万人として発表しています。同氏の推計によれば、戦前のアルメニア人人口は130万人です。よって、アルメニア人の被害者数は約30万人であるということになります。この数字は、同時期にトルコ人全体の中で死亡したトルコ人が300万人であったということを考えると、全人口に対して死亡した割合はトルコ人もアルメニア人も同じであるということを意味しています。繰り返しますが、この数字はアルメニア側が発表している数字とは矛盾するものです。

・・・・引用おわり・・・・

たしかに被害者数の視点だけを見ると、年々被害者数を水増しした中国の南京事件に対する主張と似ています。くっくりさんはそこを指摘したかったのではないでしょうか。

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