Comments
- サボ子
- 2018/07/07 08:13 AM
- システム的には違いますが、京都も以前は公立高校は学区なしで、合格点取れば、全体で割り振って基本家から一番近い高校に入ることになっていました。だから同じ高校に東大に行く子もいれば、就職する子もいるという感じです。高校の合格発表の時も校門の外では民青の勧誘が楽しそうに繰り広げられてました。
思い返せば、小学校中学校時代は先生に頼まれて、母が一か月だけ赤旗日曜版とか取っていました。両親は全く偏ってない人でしたが、担任の先生のお願いを無下に断れなかったのだと思います。
中学校の時の社会の先生は「先生っていうのは教える内容は自由なんや」とつぶやいてましたが、三年間プリントで授業しました。思い返せば南京大虐殺とかもちろん事実だというようにひたすら左を学んでおりました。そういえばその先生は共産党員だったようです。
子供の頃からほんとに偏った教育受けて、それが普通と思っていて、残念なことです。
- まめまめ
- 2018/07/07 11:31 AM
- 1957年生まれの私自身は茨木市の小中学校で毎朝朝礼で国旗掲揚がありました。高校も市内の進学校に行きましたが、高槻から来た子たちは受けるだけで大変だったと言っていました。
1978年生まれの姪が高槻の小学校に転入したら朝鮮語の歌ばかり教えられ、あわてて茨木市に引っ越してきました。高槻ではまだそんなことをしてるんだ、とあきれました。
そして1995年生まれの我が子、小学一年の音楽の教科書、国歌のページの上に校歌のプリントを自分で貼りつけさせられていました。どこからか告発されたようで、のちに校歌のプリントは剥がすように指示があり、学年の終わりに国歌を授業で習いました。
親がボーっとしているとなにを刷り込まれるかわかったもんじゃない、という状況はまだまだ続いていると思います。
- skydog
- 2018/07/07 04:00 PM
- posted at 10:00:57の「玉木」は「玉川」ですね。
何となくお気持ちは分かります (^^;
- くっくり@管理人
- 2018/07/07 07:11 PM
- サポ子さん、ありがとうございます。参考になりました。
京都は共産党が強いと言いますが、そのようなことが行われていたのですね。教師が親御さんに機関紙購入を頼むとか、今だったら大きな問題になっていたのでは…。
まめまめさん、ありがとうございます。参考になりました。
高槻は進路指導以外の、教育の内容もかなり偏っていたらしいですね。しかし95年生まれのお子さん、つまりけっこう最近でもまだプリント貼り付けがあったとは恐ろしい。
skydogさん、ご指摘ありがとうございます。
ツイッターでは訂正済みですが、こちらに転載し忘れてましたので、追加しときました。
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