[2] 朝鮮総督府官吏だった野伏翔監督の父「気を遣っているのはいつも日本人の側だった」

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金 国鎮
2017/04/20 11:06 AM
本当の話が色々あります。
始めから決めて話をしないことですが、何しろ政治の話が好きでそのためには具体的な現実を無視して話をする連中がどこにでもわんさかいます。

私は経験を通じて戦前の教育を受けた日本人と戦後の教育を受けた日本人は別な集団であると分かっています。
ここで書かかれている日本人・朝鮮人は韓国の教科書には出てきませんが日本の教科書にも出てきません。
私は親から聞いて知っていますが
注意しなければいけないのは朝鮮に住んでいた日本人も日本に住んでいた朝鮮人も社会的にはその地域の少数者であるということです。
その立場を通じて社会を理解する人達が少ないのは常識です。

これはこれからも変わりません。
うさぎん
2017/04/20 08:18 PM
何年も前に、ネットのチャットルームで戦後生まれの韓国の人達と何度か話す機会がありましたが、その時思ったことは「戦争中は内地も大変だったが韓国人はそのことを知らず、自分達だけが不当な目に遭わされたという意識しかない」「戦後生まれの日本人の方も『戦争中、内地も大変だった』ことを具体的によく知らず、韓国人に『韓国はこんな酷い目に遭わされた』と言われればそのまま恐れ入ってしまう」ということでした。

例えば韓国人は「戦時中、韓国では食べ物が無く大変な思いをさせられた(と聞いている)」と怒りをぶつけるが、戦後生まれながら親等から戦時中の話を聞いている私は「それは内地でも同じことでは。」と思う。
韓国人の頭では「日本が食料を奪ったので韓国人は飢餓に苦しみ、韓国から奪った食料で日本人は腹が満ちていた」というイメージの様子。実際には「外地」で食糧難が深刻化したのはむしろ内地より後になってからとも聞くが。

戦時中は「貴金属」や「金属」を「供出」させられ、ナベ、カマ、果ては金属製のバケツまで出さされた、寺の由緒ある鐘なども「供出」で失われたところは少なくないなどの話は、一定年齢以上の戦後生まれの日本人も親の世代から聞いて知っていると思うが、韓国でも当時同様のことがあったようだが、「内地も同じだった」という認識が無い以上、「韓国人が日本人によって考えられないような酷い強奪に遭った」ということにしかならない。

戦時中は「勤労動員」で内地でものんびり勉強出来る環境にいた生徒はいない、工場での作業や農家の手伝い等を強いられてロクに学校で授業を受けることが出来ず、挙句、繰り上げ卒業で学校を出されてしまったと年配の人が嘆くのを耳にしたが、韓国人は「韓国人だけが勉強機会を奪われた」という認識らしい。

まあ仮に「内地も同様か、もっと酷かった」ことを知ったところで「日本人が大変な目に遭ったのは自業自得。関係の無い韓国人まで巻き込まれたことが許せない」ということなのだろうが。

慰安所の話も従軍した人のエッセイなどで、「従軍慰安婦問題」が起こる前に読んだことがあったが、韓国人の主張するような話ではなかったし、当時「日本人」として従軍した韓国人の多くも慰安所を利用して実態を知っているはずなのにと思う。戦後生まれの韓国人と話していると「少女を騙して戦場に拉致して性奴隷にして虐待したり殺して食べたりし、終戦と同時に証拠が残らぬように虐殺した」と熱く語るので言葉を失います。

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