Comments
- 2015/09/02 12:45 AM
- 「大地の子」の原作とドラマが大きく違うところが、童養媳として育てられた小さな妹の境遇でした。はじめて読んだ時、こんな残酷な話をテレビで放映できるのかと思いましたが、ロケ地となる国に気をつかったか、憐れみ深い養親という描き方でしたね。
- nazonazo
- 2015/09/02 10:16 PM
- 昔とある老夫人とお話したことがあるのですが、その方、38度線を越えて帰国なさった方なんです。終戦になって御夫婦で生まれたばかりのお子さんをつれて無事に帰国されたのですが、お話によると途中で山賊に出会ったそうです。その時、若い女性は私しかいなかった、って言われてたのが印象的で。非常に申し訳ない想像ですがもしかしてそういう意味だったんでしょうか。
- 来年還暦
- 2015/09/03 03:14 PM
- 私の父(88歳)も平壌から逃避行してきました。
終戦時、父はテグに駐留しておりましたが「武装解除」命令が出て「日本は負けた」と知らせを受けました。当時の朝鮮半島は実に平和で日本と殆ど変わらなかったそうで、その知らせ(命令)がとうてい信じられず、ほんまかいなと戦友たちと一緒に平壌まで確かめに行ったそうです。(随分のんきな話です)
ところが、平壌の街の様子がおかしい変だ。そこで初めて「日本は負けた」と理解したそうです。
あんなに平和だった街が、山賊で溢れ返り強盗略奪で殺伐としているのを目の当たりにし、
こりゃヤバイ!兎に角日本に帰ろうということで、軍服や軍靴はもちろん手持ちの品々全部をお金に換え(300円だったそうです)、なんとかプサンまでたどり日本に帰ることができました。(乞食の格好で、昼は橋の下、夜行動)
プサンの港でもひと悶着あったらしいのですが、父は多くを語りません。おそらく平壌からプサンまでの逃避行は「竹林はるか遠く」と全く同じだったのだろうと想像します。
だって、逃避行中何人かの戦友が亡くなられたそうで、今生きているのは奇跡だと言ってますもの。
朝鮮半島は、戦時中より終戦後からが本当の戦争だったとも言ってます。
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