[2] “違憲”学者を招致した役所に中国の手が入っている! 青山繁晴「ザ・ボイス」

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taigen
2015/06/12 04:05 AM
ポツダム宣言の精神でオスプレイ反対
 5月20日の党首討論で志位書記長がポツダム宣言を持ち出してから、自称リベラル派は大はしゃぎです。
 何と佐賀県へのオスプレイ配備もポツダム宣言の精神で反対するんだそうです。

>「安倍内閣が進んでいるこの道は『いつか来た道』戦争に突入する道だ」「頭を冷やしてポツダム宣言や憲法の精神を守るべきだ」

 もうわけがわかりません。
ttp://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-5176.html#comment
kahn
2015/06/12 02:44 PM
安保法制整備が「違憲」といっている学者でも、「憲法制定権力」が国民にあるというのは大前提。
とすれば、この件について

安保法制を争点として解散総選挙

を行って、過半数を取れば、この問題は「政治的には」解決する。
つまり、主権者である国民が

「この解釈で問題ない」

と明らかになれば、その時点で「勝負あった」となる。
もちろん、「学者の良心」として、「その投票結果は間違いだ」という権利は残されている(死刑廃止論のように)。

例えば、「クイズ王」小西議員が引き合いに出す、芦辺教授の著書に『憲法制定権力』というものがあるが、その中で、樋口教授(あの「木村草太」の師匠)が

憲法改正論議が「右より」だから、その議論を封じるために「憲法改正限界論」を唱えた

という旨の記述をしており、その記述に葦辺教授も「好意的」な内容でした。
つまり、96条改正論議で持ち出してきた

「立憲主義」や「憲法改正限界」

は「俺(多くの憲法学者)の気に食わない改正」だという意味でしかないということです。

今までは、集団的自衛権を認めるのなら「9条を改正してから」という議論がありますが、
実際、そういう議論が政治日程に上り始めると

憲法学者は

9条は憲法の三大検束のひとつであり、憲法改正手続でも改正できない

という論陣を
「憲法学会の相違として」
「突如として」
打ち出してくると予想します。

それでも、自衛隊創設当時は自衛隊違憲論が「憲法学者」では大勢だったという「歴史」から見れば、

集団的自衛権も数十年後には合憲論が憲法学者の大勢となる

という「未来」も予測できないことはない

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