[2] 天皇皇后両陛下パラオ行幸啓と報ステの無礼

Comments


水雷艇
2015/04/10 01:17 PM
植民地支配とか言ってる段階で、戦後教育の大きな成果が現れていますね。何も考えていないし何も見ていない。
しかしどのテレビも、生き残った日本兵に対して、どんな風に誘導したのか知らないけど、「戦争は絶対にしてはならない」とか「戦争をしない国であってほしい」とか、左翼の喜びそうなフレーズを言わせて嬉々として放送しているレベルの低さも、パラオをはじめとした全世界に恥ずかしく思います。
夜鶯
2015/04/10 01:28 PM
素晴らしいまとめを、ありがとうございます。

先月初め、パラオに行きました。
もともとホテルも少なく、また、中国からの観光客も増えていますし、ご窮屈だったことでしょうが、巡視船に宿泊されるというのは名案だったと思います。
(その名が「あきつしま」というのも感慨深いですね)
メインの島にもほとんど一本の道路しかありませんし、パラオの人々の迷惑にならないように、ということもあったでしょう。

陛下のお言葉から、私は、歴史をきちんと語っておかなければ、というお心を、不遜ではありますが感じました。
ドイツの植民地から国際連盟の決定により、日本の委任統治下となり、南洋庁がおかれた、という歴史。
(台湾で日本人が示した熱心さと同じく、日本人は街をつくっていきました。その当時のパラオの栄え方は、残された写真や、当時を知る方の声からも窺えます)

日本とパラオの関係について、陛下は丁寧に語られましたが、パラオに向けての謝意を表されたと同時に、日本国民に向けてのお言葉でもあったと思います。

今回の行幸啓は大きく報道されました。あいかわらず妙な解説や報道もありましたが、日本人がパラオのこと、ペリリュー島、アンガウル島の戦いのことを意識するようになったのは、よかったと思います。
「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々」のことを、私たち日本人はあまりにもないがしろにしてきたのではないでしょうか。

長々と申し訳ありません。
桜は咲きましたが、冷え込む日も多いこの頃、くっくりさんもお身体お気をつけて。
2015/04/10 04:10 PM
あきつしまの意味は古い言葉で日本の本州というようですね。
(安全性等を考えると他にも船はあったはずですが)
考えると、天皇・皇后両陛下が宿泊されたあきつしまは日本そのもととも言えるのではないでしょうか。
その巡視船がパラオに行き英霊の魂を運んで行くためのあきつしまだったのでは?・・・と。

ちなみに、1995年でのパラオへ慰霊が行えなかった年に何があったか調べると・・・。
1995年10月1日、パラオでは独立一周年を記念する式典があり、各国代表が訪れたり祝電がありましたが、日本政府からは「何もありませんでした」
その時の内閣は阪神・淡路大震災で有名な【村山内閣】です。

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