Comments
- とぼそ
- 2013/11/09 12:58 PM
- くっくり様、いつもありがとうございます。
こんな馬鹿げた杜撰な調査(調査以前の代物ですが)で談話が出されて多くの日本人が苦しめられ続けているなんて。これこそまさに大罪です。
政府は過ちを早急に改める義務がある。アメリカが何と言おうと。話はそれからです。
- hoshi
- 2013/11/09 02:44 PM
- つくづく河野談話は問題だと思います。何年も前から 韓国の慰安婦の記事はネットで見て 売春婦だったのに・・・とのわりきれない思いです。
ホワイトハウスへの署名もしましたが。
諦めず、真実を訴えるしかないです。政府は毅然として、先人に対して また子供たちにたいして恥じない態度をしめしてほしい。
くっくり様、これからもよろしくお願いします。
- 町工場の親方
- 2013/11/09 08:49 PM
- 真っ赤な嘘で固めた、従軍慰安婦強制連行。
強制連行の根拠は、「朝日」、が紙面で再三にわたり、
吉田清治・著
「私の戦争犯罪・・朝鮮人強制連行の記録」
を取り上げ、如何に戦前の日本軍が極悪非道の代物だったかを大きく報道したのが原因です。
吉田清治の経歴を知れば知るほど、如何にすべてを「嘘」、で固めた人物かがわかり、唖然とします。
しかし、このようなトンデモない代物を持ち上げ、繰り返し、戦前の日本と日本軍叩きに利用した、話にならぬような酷い新聞?が、「日本を代表するクオリティペーパー」、と自称するに至っては、言葉もなく、世界に誇る、優れた日本の技術、と対称的に、日本の恥としか言いようがありません。
チョーニチは、大嫌いな日本を責めるとき、よく、「事実を直視しろ!」、とヌカシますが、吉田清治について、一体何を知っていて、どんな、「事実」、を調べたのか、と呆れ返ります。日本と日本軍の名誉を傷つけるなら、後先まったく考えず、ダボハゼ、(ダボハゼにまことに失礼ですが)、のように食いつくその検証ゼロの態度について書きます。しかし、このようなとんでもない嘘がバレたらどうしようかと考えもしなかったのかとの、疑問は消えません。そこまで頭の周るような連中ではなかったようです。
NHK、「ジャパンデビュー」、一万人訴訟がありましたが、原告側弁護士の人たちの質問、追求に対して、番組製作側の責任者は、しどろもどろどころか、何も答えられず、裁判官も呆れた模様とのことでした。
私に言わせれば、こうなるのは当然で、無理も無く、NHKの左巻きは自分たちの政治、イデオロギーに基づき、「戦前の日本は絶対の悪」、という牢固として抜きがたい固定観念で、頭が金縛りになっているので、その当時の事実、実体はどうでもよく、勝手につまみ食い、つなぎ合わせて作ればよい、とだけ考えて作ったものです。
まさか現地へ行きここまで調べるような、奇特なメディアがあるとは夢にも思わなかったでしょう。
※、「それに比べて、マスコミ、特に、《朝日新聞》、の、吉田清治に対する入れ込み方は尋常ではなかった。」ーーー秦郁彦・著、「慰安婦と戦場の性」・・・新潮選書、より。
中川八洋・著ーーー「歴史を偽造する韓国」
第十章・・・「《従軍慰安婦強制連行》、という嘘」
戦後の日本では、「歴史の偽造」、を職業とする者が繁殖している。良心を欠如したマルクス主義の学者や弁護士らが、同じくマルクス主義を信奉するマスメディアと連結して、日本の学校教科書や教育機関そして報道を排他的に独占してきた結果である。日本国中に嘘が横行し、この嘘によって時代の日本人が、「人格喪失者の群れ」、になる危険に日本は直面している。
偽情報宣伝、(プロパガンダ)、は、{嘘」、(lise)、「半分嘘」、(half−truth)、「事実の歪曲」、(distortion、of、facta)、「一部事実のつまみ食い」、(selective、information)、の4タイプが基本だが、ここで扱う、「歴史の偽造」、のケースは、「嘘」、だけで創られ、宣伝され、流布された、第ニのタイプである。
その目的は二つある。第一は、「軍隊−悪」、のイメージ作戦で、「反軍」、キャンペーンである。日本、(国民)、から国防意識を消滅させ国防力を弱体化しようとしている。
第二は、「日本の過去=悪」、とする、「反日」、キャンペーンである。これによって次代の日本国民は、自国の歴史から切断され、また祖先への誇りを持たなくするから、日本へのアイデンティティをもてなくなる。日本の国家そのものは、この結果、「日本国民」、を欠き、日本は遠からず自然に崩壊する。
日本のマスメディアが血道をあげる、「反日」、に、「反日」、の隣国は喜び、つまり北京とソウルは、この、「反日」、を増幅して日本に逆送する。日本のマスメディアがこの、「増幅反日」、をさらに報道するから、「捏造された歴史」、が日本列島を渦巻く。日本は、隣国と国内の双方から、「反日」、の挟撃を受けて、政治家ですら思考は麻痺してうろたえ、一般国民に至っては謝罪すれば台風一過の青空、(=隣国との平和友好)、がくるとばかりにただ叩頭する。
また、国家の尊厳が傷つき、国家の名誉が毀損されるのもかまわずに、この謝罪・叩頭を窮余の妙案と思い込むのは、戦後日本が敗戦のトラウマと国家否定教育によって国家の尊厳や名誉を守ることが国民としての最小限の義務であることを亡失したからである、それは、日本全体から国家意識や国民の義務意識がすでに溶解しているということにほかならない。
ここで取り扱うケースは、偶然と言い難い、ソ連の崩壊と時を同じくして1991年末に始まった、日本を発生源として韓国で増幅された、《歴史の偽造》、としての、「従軍慰安婦強制連行」、という、嘘宣伝、(プロパガンダ・キャンペーン)、についてである。日本が国をあげて毅然としてこの嘘を否定しないとすれば、またこの、「歴史の偽造」、をなした隣国に対して、《謝罪》、を逆要求しないとすれば、日本は、「人格」、ならぬ、「国格」、を自己否定して国家喪失状況に陥らざるをえない。「従軍慰安婦強制連行」、問題に対する姿勢は、日本が今後とも国家であり続けられるのか、という重大な岐路と命運を決定していくものとなろう。
一、戦場における性ーーー無制限の強姦か、「戦場娼婦」,制か
「昭和20年8月20日頃であったろうと思う。鞍山から新京守備のために北上したので新京の街は北も南もよく解からないが、たしか終戦の日から数えて4、5日たっていたと思われる頃の出来事だった・・・
そんな日、病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足を引きずりながら玄関にでてみて驚いた、12、3の少女から20ぐらいの娘が10名ほどタンカに載せられて運ばれていた。
それは、まともに見ることのできる姿ではなかった。その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが聞き取れない。次の女性はモンペだけはぎとられて下の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切り口から血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片目を開けたままであったから死んでいるのかもしれない。次も次も、ほとんど同じ姿である。・・・
一週間私はこの病院にいて毎日毎日この後継を見て、その無残、残酷さに敗戦のみじめさを知った。
『されど、、わが満州』、に収録されている、手記のなかの一節である。
ロシア、(ソ連)、では侵略した地での強姦、(レイプ)、は一種の、「給与」、として無制限に許可こされていた。実際に、ロシア兵の残忍なレイプの惨状に憤慨して止めに入ったそのロシア将校の方が銃殺されている。ロシア軍には実態として、「給与」、支給妨害罪があるのだろう。
「ドイツ人の女性は老女から4歳の女児に至るまで、エルベ川の東方、(=ソ連占領地区)、で暴行されずに残ったものはあまりいなかった。あるロシア人将校は、一週間のうち少くなくとも250人に暴行された少女に出会った・・・」と、英国の歴史家、ニコライ・トルストイ、(あのトルストイの子孫)、は、その著、『スターリン』、で述べている。・・・・
・・・置屋が従軍して移動する制度はも、「移動赤線」、と呼ぶのが適切かも知れない。安全地帯に固定してむ開業する、「固定赤線」、とともに、国際的には普遍的である。何ら非難されるべきものではない。
むしろ戦場や占領地における強姦を防止し性病をより現象せしめる成果においてそれ相応に評価されねばならない。売春の是非という問題だけに論点を視野狭窄させて、「従軍置屋」、制度を非難するとすれば、そのほうが非人間性に基づいた避難である。非難されるべきは、満州や東欧やトイツでなしたロシア、(ソ連)、軍のような残虐極まる強姦の問題である。あるいは1990年代のセルビア兵、(ギリシャ正教徒)、のなしたボスニアのイスラム教徒の若い女性への改宗の強制を目的とした、組織的・計画的強姦の問題である。
《だが日本軍の、「従軍置屋」、制度について真っ赤な嘘をもって難詰しながら、この満州や東ヨーロッパやドイツでのロシア、(ソ連)、軍によって生じた20世紀最悪のレイプ被害に対しては一切の言及もしない、日本の、「従軍慰安婦」、キャンペーンを専門とする弁護士たちは、果たして人間なのだろうか。》
人格喪失のデマゴーグであるのは、いうまでもなかろう。
某左翼団体→吉田清治→左翼メディア→宮沢・河野の迎合
「従軍慰安婦」、「強制連行」、問題は、幽霊である。幽霊を吹聴したのは、「反日」、運動家たちであり、非人間的なデマゴーグたちである。幽霊がさも生きている人間かのごとく動作するように、
機械装置と電源を取り付けたのは、自民党の宮沢喜一総理と河野洋平内閣官房長官であった。
しかも、宮沢内閣総辞職の前日であった。内閣官房外政審議室の筆による、『いわゆる従軍慰安婦問題について』、(最終調査報告書)、がそれであり、河野洋平は、この報告書についてわざわざ、「内閣官房長官談話」、まで発表し、その記述内容の嘘を正当化したのである。1993年8月4日であった。これらのすべてが宮沢喜一という首相の下になされたのは、「反日」、政治家の宮沢らしい行動だが、日本という国家が受けた傷は未来永劫に治癒されない。
この『調査報告書』、でも、「談話」、でも、「慰安婦の募集について、(置屋が依頼する斡旋業者だけでなく)・・・官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた」、と述べている。だが、その根拠となる証拠も事例も、何一つ提示していない。だが、この瞬間、吉田清二、(共産党員?)、が百%捏造した、「強制連行」、の、「証言」、なるものが、あたかも嘘でないとみられるようになつた。宮沢喜一、河野洋平の自民党リベラル派コンビが、虚言男・吉田清治と一緒になって、ヒットラー/ゲッペルス並みの偽報道を大宣伝したのである。
「世紀の嘘」、に過ぎない、「慰安婦狩り」、(=強制連行)」、を捏造した吉田清治とは、重度の虚現症であろうか。吉田清治が事実を捏造していることは、その二冊の著、『朝鮮人慰安婦と日本人』、(1997年3月刊、以下A)、『私の戦争犯罪、ーー朝鮮人強制連行、(1983年7月刊、以下B)、と比較しても明らかである。まず、自らが語る、吉田清治の履歴は嘘だらけで、すべてが虚構である。
「二年間刑務所にいた前科者が直ちに内務省系の準・官吏的な、「動員部長」、に任用されることは万が一にもない。県労務報国会会長はエリート内務官僚の県知事であり、下関支部長は内務省の下部機関である下関警察署長である。前科者が警察署長の直属する部下になるなどとは、マンガでもありえない。
しかも、この二年の懲役刑は、吉田自身によれば、裁判は軍法会議でなされ、社会主義者の朝鮮人テロリストである金九を、そうとは知らず飛行機に搭乗させた、その、「罪」、によるという。また治安維持法で裁かれたという。だが、、「中華航空株式会社」、の、「社員」、である、《民間人》、が、《軍人》、のみを裁判する、軍法会議、(軍事法廷)、の対象には万が一にもなりえない。また、共産主義などの思想犯をとりしまる治安維持法の法律違反者は、地方裁判所で裁かれる。また、金九は殺人・殺人未遂罪などの容疑者として、一般刑法犯の対象であった。仮に金九をかくまい犯人隠蔽の罪に問われたのであれば、これまた一般刑法犯である。軍法会議でなく地方裁判所で裁かれたはずである。吉田清治の履歴は、このように百%の虚偽である。
この吉田清治、(本名は吉田雄兎)、の履歴について、板倉由明氏が詳細な調査をしている。日本官憲が逮捕しようとしていた朝鮮人テロリストの金九は、1938年10月かに上海から重慶に潜入した。吉田の言うごとく、金九が昭和15年、(1940)、に朝鮮から重慶に行くべく、「上海に入った」、とするのは嘘である。吉田清治の実刑二年は、詐欺罪とか窃盗罪とか、類のものだろう。
なお上海の虹口公園で金九が主犯となって実行された爆弾テロで、片目を失ったのは野村吉三郎、(のち海軍大将、ハルノートを受け取った大使)片足を失ったのは重光葵、(のちの外務大臣)白川義則、(陸軍大将)、は死亡した。がそれは1932年4月で、1940年ではない。
昭和18年5月の済州島での、「慰安婦狩の命令」、について、「家内の日記の中にそれがありました」、と吉田清治は述べている、(B156頁)、ところが吉田清治は、「結婚は昭和19年の2月上旬にした」、と書いている。(A156頁)、。
とすれば、前者の、「家内」、は幽霊か妄想である。つまくり、「日記」、は作り話である。
(※、秦郁彦氏は吉田清治に、「それなら獄中で結婚したのか?」、と問うています。)
吉田の二つの著作はすべて口から出まかせの小説だから、このような虚構上の矛盾が数多く発生するのである。吉田清治は戦後、下関市の市会議員に共産党から立候補している。共産党の、「従軍慰安婦強制連行」、キャンペーンと符合する。「赤旗(日曜版)」1992年1月26日付けに吉田清治は登場しているから、今も党と密接な関係があるのだろう。
、(日曜版1992年1月16日付けに吉田清治は登場しているから、今も共産党と密接な関係があるのだろう。
板倉論文と上杉論文で指摘されていない、重要な問題がある。それは吉田清治が、「済州島で205名の慰安婦狩りをした」、昭和18年5月頃の済州島では、「決線下のこのごろは・・・事実上の軍政を敷いていた」、と述べている点である。
日本とは、日本に併合されていた朝鮮に対しても、日本本土においても、敗戦に至るまで、「軍政」、を敷いたことはまったくない。昭和20年4〜6月の沖縄戦ですら、軍政への移行は検討すらなされなかつた。著者、(中川)、は沖縄防衛戦を、「軍政」、下でしていれば、あれほどの民間人犠牲は生じなかったと考えている‘。話を済州島に戻せば、朝鮮はしようわ18年も昭和20年になっても、朝鮮総督府による平時そのままの行政機構であった。そ月である。
さて、昭和18年5月に吉田清治らに慰安婦狩りの命令をなしたのは、「西部軍司令部付きの中尉」、だと吉田は言う。嘘である。内務省の管轄下にある末端組織の下関市に、軍が直接に依頼することなどありえない。吉田の嘘は杜撰を極めている。
板倉/上杉論文のほか、秦郁彦、「従軍慰安婦たちの春秋」、も、吉田清治の、『証言』、のその悪質な虚偽を見事に抉っている。秦/板倉/上杉の優れた調査と労作で、「従軍慰安婦」、「強制連行」、という嘘は1992年の夏の段階で完全に証明されていた。この問題は吉田清治への糾弾をもって幕を閉じていた。
ところがその嘘がその逆に転倒されて事実のごとくに独り歩きするに至った原因は、前述の通り、1993年に、「反日」、政治家の宮沢首相と河野洋平官房長官が、左翼マスコミの嘘宣伝に共鳴し、それを増幅し、公的な権威づけをしたからであった。なお、この吉田清治の嘘証言を満載した、その著、『私の戦争犯罪』、を真実だとした、朝日新聞の記事の嘘宣伝の罪は大きい。論説委員である北畠清泰のコラム、「窓」、て゜のエッセーが、それである。(1992年1月23日)。
それからすでに10年、北畠はいまだに訂正も謝罪もしていない。
北畠論説委員は、吉田清治と同種の人格で、同じ政党に属しているのだろうか。それはともかく、「済州島で205名の慰安婦狩りをした」、吉田清治は、それを、「戦争犯罪」、と認めながら、済州島の関係者に謝罪に行くこともない。お詫びの、「自殺」、(=自らの死刑執行)、をするのでもない。どうやら天性の虚現象である。
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