[2] 『原爆投下は神の懲罰』安倍政権に対する韓国の嫉妬

Comments


青二才
2013/05/24 02:30 AM
>コラムの執筆者はキム・ジン論説委員。

>日本の各報道によれば、中央日報は「コラムは論説委員個人の見解であり、中央日報を代表するものではない」と弁解しています。
>ってことは、社としてひどい記事を載せてしまったという自覚はあるわけですね。


はたしてこの妄説委員はクビになるのでしょうか。
sss
2013/05/24 05:20 AM
>>日本の各報道によれば、中央日報は「コラムは論説委員個人の見解であり、中央日報を代表するものではない」と弁解しています。

うん、組織の逃げ方としてこう言う物言いも許容しましょう。
でも、だったら、社を代表する見解を開陳しない限りただの言い逃れでしょう。
まあ、実際言い逃れなんでしょうが...

ああ、本当の事言うと、完全に無視したい。
でも、彼の国には「あきれてモノも言えない」が通じないんですよね。
本当に疲れる。
とってぃ
2013/05/24 06:40 AM
韓国って何かとアメリカ様にご注進してるけど、核のない世界って言ってるオバマ大統領がこの記事をみたらとか、考えてないんだろうな。
たなべのぬこ
2013/05/24 09:22 AM
おはようございます!

今朝このニュースを観て旦那と大爆笑
、本当に朝から大笑いさせてもらいましたよ。
もう驚きや怒りのレベルとか通り越して、「ここまで来たか韓国は」って事ですね。
追い詰められっぷりが見事です。
自ら日本人に嫌われるような事をどんどんやってくれてます。

で、いわゆる「慰安婦」の方々が「ひどすぎて会う気なくした」ので橋下氏との面会中止のニュースですが、
旦那が一言「橋下相手じゃ論破されるから逃げただけやろ。」でした。
左右でなく、真ん中
2013/05/24 12:37 PM
 いつも、共感の裡に拝見させてもらっています。ありがとう。
 無茶苦茶な様相の国際社会となってきましたね。
「国連が慰安婦 ヘイトスピーチ改善要求?/ 朝日新聞の報道だと「規制を要請」と読める・・・」
 http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/9150b2d28646aed98591f9cc9bd1afe9
町工場の親方
2013/05/24 12:43 PM
朝鮮人、キム・ジン、を下回る連中=日本国内・憎日左翼、の悪魔の思想について。

早いものでもう14年近くの年月が経ちましたが、私には平成10年という年は、年明けから、「東京都平和祈念館」 建設反対運動に携わった忘れられない年でした。

平成10年の年明け、前日降った雪が残る、東京、墨田区の戦災記念堂の庭、東京都が建設を計画した、「東京都平和祈念館」、建設に反対する、少数の人達が。、3人の都議会議員を中心に集まりました。

3人の都議の名前、所属政党は、土屋敬之・民主党、古賀俊昭・自民党、田代ひろし・自民党です。

「東京都平和祈念館」 建設反対運動とは、大阪の、「ピース大阪」、や長崎の 「原爆資料館」 と同じようなものを、東京にも立てようと左翼が画策したもので、展示内容は徹底して左翼の立場から、「如何に戦前の日本は悪いことをしてきたか」 ということが、ニセ写真や、一部のことを極端に誇張、歪曲したものを使って作られており、日教組の変脳左翼教師が、児童、生徒を連れて行って洗脳し、判断力も十分にない、幼い頭に、日本の過去に対する強い憎悪と呪詛を植え付け、「革命」 に利用しようという企みから出たものです。

誰もが反対しない、「平和祈念」、などという言葉を使っていますが、これほど表題と中身の違っている代物は世界にもありません。

この件については都会議員一年生 (平成9年7月初当選) で文教委員になった、土屋都議がこの計画と内容に疑問を持ち、9年10月23日の都議会文教委員会で質問しました。 そのときは共産党所属の文教委員長が、職権を利用して土屋議員の発言中、議事録をやめさせる行動をとりました。 左翼が税金で、酷い反日(私に言わせれば、憎日) 施設を作り、さらに税金を使って、そこに居座った左翼系職員がそこを根城に、子供達に自国に対する呪詛の心を刷り込もうというものです。そのような物だけに、具体的な内容については極力、事前に一般の常識のある、外部都民に実態を知らせないよう、密室にてことが進められてきました。 

「東京都平和祈念館」 建設に関しては、 土屋敬之著 「ストップ偏向平和祈念館」 展転社 に詳しく書かれています。 興味のある方には是非お勧めしたい本です。
これを読むと、如何に左翼が一般都民の気持を無視して、この計画を進めてきたかがよく分かると共に、このとき土屋議員がいなかったら、この酷い代物が東京にも出来てしまったに違いないと思うと、慄然とします。 

「ストップ偏向平和祈念館」 より一部をご紹介いたします。

<誰も知らない展示計画>
東京都が建設を計画している 「東京都平和祈念館 (仮称)」建設計画の内容は、驚くべきことに平成九年十月二十三日に私が文教委員会で取り上げるまで議会に明らかにされていませんでした。確かに、知事の私的諮問機関である建設委員会で平成八年五月から、展示内容を含めた建設への議論はしてきましたが、それまで一度としてその詳細が議会で報告されていません。従って殆どの議員は平和祈念館が建設されるとは知っていても一体内容がどのようなものになるかは知らなかったわけです。

この年の七月に選挙があり、九月に開かれた議会で私は文教委員会に配属が決定し、互選の結果、副委員長に就任しました。文教委員会の担当は、教育庁、生活文化局、都立大学です。九月の議会では、事務事業の説明と称して、今後各セクションが計画している事業の説明があります。文教委員会での説明が終わりに近づいたとき、分厚い説明書をめくっていると 「東京都平和祈念館」、の項目に目が止まりました。事務事業説明では全ての事業についての説明はありません。重点項目を中心に説明が行われます。後になって、偏向展示館推進派は、行政と一体になって 「平和祈念館は、東京の反戦・平和の証し」 「重要政策だ」、と盛んに言っていますが、であるなら、どうしてそれほど大切で重要な平和祈念館を説明事項にに含めなかったか、合理的な説明をしてもらいたいものです。

ここでも、推進派の 「なるべく議論にならないようにしよう」 という意図が見えます。

私は、各地で ゛平和○○館゛ と称する施設で、余りにも偏った展示が行われ、市民の批判を浴びていることを知っていましたが、当選するまで、東京都がこのような計画を進めているとは知りませんでした。それより、何故生活文化局が説明をしないのか疑問に思ったわけです。そこで、九月十日の文教委員会で 「平和祈念館の建設について、その内容と、特に展示内容について示してもらいたい」 と資料請求をしました。数日して、清水文化施設担当部長がA4サイズ一枚の説明書を持って来ました。

清水部長の説明によると 「もうこの展示計画は建設委員会で審議が進んでいます。議会の代表の入っている建設委員会で審議していますから、あと二回で(展示内容を)決定しま。」、とのことでした。この説明書を見て見ると驚くべきことが書いてあります。

《軍事都市東京》、という耳慣れない言葉があります。注釈を読んで見ると 「当時の東京にあった軍事中枢や軍需工場、研究機関などを通じ、攻撃目標となつた東京の役割を紹介する」 と書いてあるではありませんか。「これでは、東京大空襲は東京に軍需工場があったから仕方がなかったという理由になりませんか」 と尋ねてみると一言の返事もありません。「東京の下町は今でもそうですが町工場が沢山あり。お父さん、お母さん二人の工場だってある。そういう小さな工場は住宅に併設されている。これだけみるといかにも下町全体が軍需工場のような感じがするが、おかしいではないか」 とさらに説明を求めると、これも黙ったままです。「少なくとも、今までの建設委員会で審議してきたことなのだから、担当部長としてどう考えるのか」 と聞いてみると 「建設委員会で審議をいただいています」 と的外れな答えです。 「この、《抗日運動やアジアの人々に犠牲を強いた面》 とは何を指すのか」、と聞いても、「テーマは決まっています。しかし、抗日運動や犠牲を強いた面とは何を指すのかは知りません」 という全く無責任な答えしか返ってきません。「計画書はこの紙一枚ですか。」 と聞いて、やっと平成九年三月、「東京都平和祈念館(仮称)展示基本計画[概要]」が提出されました。

「平成九年三月にまとめられたものですから、議会には報告してあるんでしょうね」 との問いに 「していない」 と言っています 「ではいつするのか」 と聞いても 「建設委員会での結論がでてから」 との返事です。この日のやりとりで、この平和祈念館建設には何か裏があるなと直感しました。更に私が、この日を境に質問準備をしているとき、ある担当者は、

「この質問、(平和祈念は問題)、は,しない方が<先生のため>ですよ」(< >部分、傍点) と忠告してきました。私は何かあると直感していたものですから、こうした忠告によって余計に何かあるという感を強くしたわけです。・・・・

<あとがき>
・・・・つまり、これらの資料館、祈念館、(長崎原爆資料館、ピースおおさか、それに東京都が計画をしている゛東京都平和祈念館゛)は、名称は違っても全てが日本という国家と、日本人を糾弾するために建設され、建設されようとしているのです。本書をお読みいただいた方は、特定の組織がいかに用意周到に準備を重ね、政治思想センターとして位置づけられる平和施設の建設をすすめているか、それに対して、行政が密室を利用して、側面から協力している実態がおわかりいただけたと思います。

本島・前市長は、市民や議会に一切知らせないままに、資料館の展示内容を一部組織と協議し決定しました。

市民が 「加害重視の展示内容」 を知ったのは開館のわずか三ヶ月前です。そのことに関し、本島氏は 「私の強い信念で日本の加害、侵略を展示することにしたのです。なぜ、その展示内容をオープンにしなかったのかというと、公表すれば出来るものも出来なかったからです。議会に詳細に話したりすれば、まとまるはずがない。少数者は無視するしかない」(「週刊新潮」五月二十三日号)と言っています。

つまり、自分の信念によってつくる資料館は、議会が反対するから秘密にしておいた。
自分の信念を貫くためには、反対意見は封殺してもいいと、ヒトラー顔負けの論理を展開しています。これと同じことが、東京都でも起きようとしていたのです。それを議会と市民の連携で事前に阻止できました。私達の税金を使って、平和を政治利用しようとする勢力は密室行政をいいことに、今まで、いくつかの施設をつくることに成功してきました。私達がこうした 「税金を使った犯罪」 に歯止めをかけるには、行政に完全な情報公開を求めること、それと公平な市民参加を同時に求めることです。

多くの人たちが反対する施設を一部の組織の論理でつくって良いはずはありません。ひとりでも多くの市民が、事実を知ることで、偏向展示阻止に立ち上がることを期待し、私も一人の市民として、また一都議会議員として戦ってゆく所存です。

東京都平和祈念館、建設反対運動、〔主として昭和20年3月10日、一夜にして10万人の東京都民が強風の下、米軍の焼夷弾無差別爆撃により焼き殺された、本所、深川の墨田区及び江東区で行われた。(私の伯父一家、〔伯父夫婦、幼児、赤ん坊〕、も浅草にて悲惨な最期をとげました。)、の集会にはほとんど全てに出席しました。

その中でも私にとって忘れられぬ演説について書きます。

「朝日新聞を叩き潰す掲示板」−−−平成15.9.18.・・・町工場の親方

・・・・
>>毎年何十萬人という小中学生が広島と長崎に、「強制連行」、されています。
>>「熊しか通らない高速道路」、に比べたら、致命的に凶悪な公共事業です。

まさに仰る通りです。平成十年三月八日、東京都墨田区の、江戸博物館、(東京都平和祈念館建設予定地のすぐ近くの場所)、にて行われた、「東京都平和祈念館の建設強行に反対する緊急集会」、の最後に、当日の司会者、三輪和雄氏、(当時、「日本世論の会」、副会長、現会長)、が会場を埋め尽くした参加者に向かって獅子が吼えると形容したい大音声で語った言葉。

《このような建物、施設を、我々の税金で造るということは、単なる贈収賄や公金での飲み食いなどとは比較を絶する悪質な、我々の父母、祖先に対する冒涜であり、絶対に、絶対に、阻止しなければならない。現在我々は9回表まで、10対0でリードされているが、この裏で何としてでも、逆転、または延長にもちこまなければならない。》

幸いにして、この東京都平和祈念館建設計画は、当初左翼が画策した密室からオープンな場へと持ち出された結果、長崎、大阪の、酷い例もあって、中止というか、無期延期の形となりました。多くの人々の努力の結果ですが、何といっても最大の功労者は、都議会文教委員だった、土屋敬之議員といえます。反対運動に携わった者として、始めから終わりまで見て、土屋議員の不退転の意志と行動がなかったならば、計画は阻止できなかったと思っています。時と場合によって、一人の人間の力が、如何に大きなものであるかを、示してくれました。土屋議員が昨年六月の都議選にて、前回と比べて、大幅に票を伸ばして再選されたことは、私にとって何より嬉しいことでした。

平和祈念館に関しては、長崎でこれを推進した、本島等、元長崎市長を、私は最も許せぬ、最低、最悪の人間と思っています。人間イデオロギーに狂うと、ここまで残酷、非人間的になれるかとゾツトします。(彼については、左翼の同類だけあって、「朝日」 が好意的に取り上げています)

私の手許に一枚の紙があります。

<原爆投下・東京大空襲を容認するー長崎市長>

本島発言に対する共同抗議声明

前長崎市長、本島等氏は、本年、(平成10年)7月29日の共同通信社のインタビューや、同月31日の産経新聞の取材に 

《原爆は落とされるべきだった。(満州事変から終戦までの)15年間にわたりあまりに非人道的な行為の大きさを知るに従い、原爆が日本に対する報復としては仕方がなかったと考えるようになった》、 《東京大空襲や沖縄戦も同じだ》 、

などと発言しています。これは原爆投下や東京大空襲、更には沖縄戦における犠牲者を冒涜し、米軍の民間人虐殺を正当化する暴言であり、私達は決して許すことができません。私達は、ここに共同して、本島氏に対し強く抗議致します。本島氏の発言は、原爆の投下や東京大空襲がなぜ実行されたのか、という歴史的検証から逃避し、ただ単に、連合国側の加害・残虐行為を全く不問に付した東京裁判の 「勝者の論理」 に完全に追従したものにほかなりません。
昭和21年、連合国の手によって開かれた東京裁判においては、敗者である日本のみが一方的に裁かれ、勝者である連合国側の戦争犯罪や国際法違反行為は全く裁かれませんでした。この為、「勝てば全てが許される」 という悪しき前例が生まれ、国際法に違反した原爆の投下や一般市民の大量虐殺も容認されるようになっのです。
東京裁判で原爆投下が裁かれなかったため核兵器の保持・使用は正当化され、その後恐るべき核軍拡・核拡散の中で、私達人類は核兵器の脅威に脅えなくてはならなくなったのです。同じく東京大空襲などの連合軍の残虐行為が裁かれなかったことがベトナム戦争やユーゴ内戦などでの残虐行為の横行をもたらしたのです。
こうした東京裁判に対する批判が゛外国の識者の中で高まってきたことが、昨今の国際司法裁判所の画期的な「核兵器違法判決」 や国際刑事裁判所の設置決定を生んだのです。日本軍の残虐行為を理由に原爆投下を正当化してきた東京裁判の考え方に対する反省が、ようやく国際社会で認められるようになったのです。

その意味で、本島氏の発言は、国際的に克服されよとしている東京裁判の論理に相変わらず立脚して日本の「非」 のみ責めることによって、国際法による公正な世界を造ろうという、今ようやく始められた国際的な努力を阻害するものにほかなりません。私達は、本島氏の発言に強く抗議するとともに、核兵器もなく人類全てが平和で安心して暮せる世界の構築に寄与していく一つの確かな手立てとして、原爆投下容認論、一般市民大量虐殺容認論に基づいた原爆資料館・平和祈念館の 「加害」 展示を是正、いかなる事情があろうとも原爆投下や市民大量虐殺は国際法上許されないとする国際世論の創出に努めることを、改めてここに決意いたします。

平成10年8月6日            

平和祈念館を正す都民の会                  
長崎の原爆展示をただす市民の会

参考図書
土屋敬之・著、ーーー『ストップ・偏向平和祈念館・・・展転社
小林よしのり・著ーーー『戦争論、第十一章』・・・幻冬舎

※、
私の恩師は長崎医大で学んでいた、一人息子を、私の親しい年上の友人は家族全員、(本人は海軍飛行予科練習生、「予科練」、として土浦にいました)、を長崎原爆で失いました。


 

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[Serene Bach 2.04R]