Comments
- にも
- 2013/04/29 04:34 PM
- ほんと、涙モノです。。。(T_T)
若いのに既に死の覚悟が出来てるなんて私には考えられません。
そして彼らだってもっと生きたかったでしょうに。と悲しまずにはいられません。
戦争で亡くなられた方々の死を冒涜した朝日や日教組などの罪は重い!!(激怒)
そんな人たちに天罰が下ってほしいものです。
- とぼそ
- 2013/04/30 08:09 AM
- 素晴らしい記事、本当にありがとうございました。
参拝する側の視点だけではなく、祀られることになった方々からの視点にも思いを馳せることが大事なんですね。
これから特攻へ赴く方達にとって靖国神社がどういう存在であったのか、日本のために戦った方達にとってどういう場所であったのかということを下の世代に伝えてゆくことが、今の私にできる先人への御恩返しなのかなと思います。
- sss
- 2013/04/30 11:44 AM
- 貴重な命を捧げてくださった方々に対して不謹慎ですが、わたしはこの特別攻撃隊の方々のまっすぐな生き方を、
時に自分の情けない生き方への戒めとさせて頂いています。
こころより感謝です。
- abby
- 2013/04/30 02:10 PM
- 靖国神社の遊就館でも先の大戦でお亡くなりになった方達からのご家族へのお手紙やお写真、日記などが飾ってある展示室がありますよね。
私はそのお部屋ではとにかく涙を堪えるのに必死でかなり変な顔になってしまいました。
他の方達も目がウルウルしてるし、やんちゃそうな男の子達もかなり神妙な顔で見入ってました。
日本人ならどんな人でも「ありがとうございました」って気持ちになるんじゃないかと思いました。
皆さん本当に日本の事を大事に思っていらして、遠くに派兵された方も「日本は本当にいい国ですね。」と書かれていたりして胸にグーっときました。
そのお気持ちを大事に繋げて行かないといけないなぁ〜と思ったものです。
しかし今回の記事もやっぱり涙でモニターがぼやけてしまいました…
- 風
- 2013/05/09 01:52 PM
- いつも見られない番組の書き下ろしをしていただき感謝しています。
4月29日(月)、偶然にこのアーティクルの知覧を訪れました。目的は薩摩の武家屋敷街並みもさることながら特攻平和記念館訪問です。錦江湾を挟み、東は海軍の鹿屋基地、西は陸軍の知覧基地から多くの特攻隊機が出撃していきました。当日の空は晴れ上がり、68年前にもこのような空に多くの若者が南へ向かって行ったかのようでした。
記念館の館内は撮影禁止ですので写真は撮れませんでしたが、三式戦闘機「飛燕」の周りの壁一面に隊員の写真と遺書が展示されていました。その多くは20台前半で、最年少は17歳、年長でも27歳です。時間がなく全ての直筆分を読むことは出来ませんでしたが、読み進むうちに目頭が熱くなるのを禁ずることは出来ず、出生地に故郷の地名を見たときには思わず涙が溢れました。
しかし、冷静にこの作戦を分析すると成功率は11%に過ぎず、大破までは出来ても沈没させることは出来なかったことを考えると、実質の効果より精神面での効果を狙ったのかもしれません。また、出撃した機種の中には速度の遅い大戦初期の旧型機が多く含まれ、これらの機体では「敵艦影見ユ」までが精一杯で、待ち受ける敵新鋭戦闘機、対空射撃をかわせず、敵船まで到達することは到底敵わなかったことと思います。もちろん、このことは散っていった若者たちの死を決して貶めるものではありません。遺書の内容との乖離に、ただただ悔しさが残るばかりでした。
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