[2] Tweetまとめ12.10.15〜12.11.15

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町工場の親方
2012/11/19 07:57 AM
>朝日歌壇が映す「思想」

>「戦犯を祀る日本の気が知れぬ ヒトラーを祀る国など無きに」に至ってはもう開いた口が塞がりません(・0・)


中川八洋ーーー「謝罪と言う野蛮行為」・・・雑誌、「発言者」、平成7年8月号、より。

・・・・・日本の、「謝罪」、論には、朝日新聞であれ、社会党であれ、倫理がない。倫理喪失というよりもむしろ、積極的に倫理否定や反人間的なイデオロギーを基礎として展開している。なぜなら、たとえば彼らは同じ戦没者、同じ人間である死者を冷然と差別する。追悼されるべきものと追悼されるべきでないものに差別する。要するに、今流行の、「謝罪」、論とは、人間の良心がひとかけらもない獣性に立脚している。

例えば、「東京空襲」、「沖縄戦」、「ヒロシマ」、「ナガサキ」、における非戦闘員の戦没者に対しては、毎年仰々しく報道し全国的な追悼の慰霊をなしてきたが、「佐渡開拓団大虐殺」、「葛根廟大虐殺」、など主として婦女子二十万人を殺したソ連軍の満州における蛮行の犠牲者については追悼はむろん報道すらしなかったし、教育すらもさせない。あの樺太から引揚げる婦女子一千六百名を殺した、「留萌沖三船・潜水艦攻撃」、についても慰霊や追悼の一言も無い。死者に対するこの極端な差別は、前者については米軍との戦闘による戦没者であり、その追悼や慰霊祭が反米闘争に役立つからである。一方、共産ロシヤ、(ソ連)、のなした蛮行の戦没者であれば、その追悼は共産国家の体制的残虐性を露呈することになるから、それを隠すためにも追悼や慰霊は阻止しなければならない。そればかりか、社会党などは、シベリヤ抑留、(の凍死・餓死)、をかって公然と支持したように、共産国家に殺されてもそれを動物の生贄と同視してして考えている。戦没者に対して、差別したり反米闘争に利用したりするこの嘔吐を催すほどにおぞましい非人間性を極める宗教的ドグマから発せられる、「謝罪」、の言葉など、汚れた雑巾を口にくわえた殺人者の声そのものであって、人間社会に存在してはならない狂気であろう。

「謝罪」、は人間的で倫理に立脚するものでなければならない。
倫理的には二重基準は断じて許されてはいない。
・・・・・・とするならば、このように侵略や、「謝罪」、に差別の二重基準をもってする朝日新聞らが主張するその、「謝罪」、の仮面の下には、凶悪な恐ろしい素顔が隠されていることがはっきりしてこよう。

朝日新聞発行停止処分ーー日本の戦後責任、(2)

・・・・・戦前の日本を、「軍国主義」、とたった四文字のスローガンに縮約し、それのみを何度もキャンペーンとして繰り返すのは、麻原彰晃の、「修業しよう、修業しよう・・・・」、と同じく思考麻痺を狙った常套的プロパガンダのやり方であり、大東亜戦争を深く詮索しないようにするための策謀である。つまり、日中戦争と太平洋戦争に関する戦争責任は極めて明白で、史実のままいえば、

1.近衛文麿

2.近衛文麿とリンクした新聞・雑誌、(そのうちワースト・スリーは、朝日新聞、中央公論、改造)、およびブレーン

3.帝国海軍

4.帝国陸軍
である。

戦後五十年、情報操作で闇につつまれたこの歴史の真実を明らかにすべきであろう。そして、大東亜戦争を、〔非〕、として糾弾するのであれば、この罪の順序でするのが公正であって、それが真の、「反省」、であろう。すなわち、陸軍非難をするのであれば、(それはそれなりに間違ってはいないが)、陸軍の十倍は罪がある、朝日新聞に対しては、陸軍の十倍の非難と処断を我々はしなければならない。

自由と平和を愛するのであれば、また倫理に立脚するならば、われわれが朝日新聞に対する糾弾の声を緩めることは決して許されない。第一に陸軍すら赤面するほどの、限度を越えた戦争煽動という罪をあがなうことを、巧妙に免れていることは法に反し、倫理にもとる。

第二に、今日なおこの、「大犯罪」、に恥じることも、「反省」、することもなく、また戦後一貫してアジア共産化と反米闘争のというイデオロギー的、「太平洋戦争」、を続行して日本国民と国家を誤導する、「大犯罪」、を重ねているのは、日本の平和を突き崩す反平和の暴徒以外の何者でもない。
日本が戦後五十年の節目に、「戦後責任」、をどうしてもとれ、というならば、最悪の戦争煽動をなしながら罪をうまく隠し逃れてきた、朝日新聞に対して、「五十年間の発行禁止処分」、など日本人の手によつて、「新・東京裁判」、をする必要がある。
以上のように考えない日本人に、日本の、「戦後責任」、問題を語る資格などまったくありはしない。

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